あるあるなのかという感情の話。

長年、ひとの創作物を見るだけのオタク(いわゆるROM専といわれる人)だった人なのでなにかをまともに描いて世に出すというのをこの数か月でおぼえた。だもんで描いてる途中の(これってみんな感じる事なんだろうか……)とか共通認識みたいな感覚にはいまひとつついていけない。というかそこの差異がきつかったりするのでTwitterへの滞在時間が減る一因のような気もする。

トップクラスで起こるのは描いてて『これ誰が見たいの?』という問答。自分が見たいから描いていたはずなのに頭の中の閲覧者が急にゼロになるおそろしき現象です。問答に次ぐ問答。答えは出ないので自分で辞めるか描き上げるかを決めないとならないのですが、いうなれば推し問答というのだと思います。毎日、これ。

ものが完成まで描き上げられないことが早いうちに癖づいてしまったので、いま大変で、割と長くなりそうなネタを描き始めたらもう一向に一段落する気配すらなくて(これもう辞めてぇな……)と塩せんべいをかじりながらまたiPadに向かったりする。このまま放棄するのはあまりにも時間がかかりすぎてるので正直もったいない。そんなこんなで目をしばしばさせながら両肩に飼いならした虚無を乗せて頑張っている。

ところでTwitterだと連投したところで長文をダラダラ書けないのが難点なわけだけど、普段めちゃめちゃ字数削ってることを再認識しました。ネタというかCPのシチュエーションみたいなツイートも時折投げるのだけれど140字に収めるためになんというか、必死。字数内での主張がたくましくなっていたものだからもしかしたら高校生ぐらいだったら小論文の成績よかったかもしれないね。知らんけど。