漫画を描くプロセスで好きなところのお話をしますが、もともと温めていたシチュエーションであったり、過去にツイートしたことであったり、そういうお話の元の断片がばちんとハマって話が繋がった瞬間がとてもアハ体験のようなとんでもねぇ快感です。
Twitter規格の4枚までの漫画ならネームもすぐにできるので話自体はけっこうホイホイ作れるのですがなにせおおよそ不要な背景まで手描きで一生懸命描くので信じられない遅さです。描いてるうちに内容が若干変わることも多いですが、あまりに仕上がらないとそのままお蔵になることもよくあります。
最近のことなんですけど、いままでそんなつもりは露もなかったんですけど自分の描くものをどうにかしたろうかと考えあぐねています。フォロワーさんのなかには本やらネットプリントやら『物』を作る人も多く、いろいろ考えさせられることがあります。
なんというかちょっと前まで物を残さないように生きてきた反動なのか、描いてそれきり物が何にも残らないのはなんだかむなしいもんだなと今になって感じ始めてきたわけなのです。
でもそこは素直にやってみたいとはならなくて昔から絵描いたりハンドメイドとかやってたんですけどある時期 親に「ただでもいらない」って言われてぱったり人前で何か作るのはやめてしまったんですよね。ああ、たしかにこんなものただでもいらないよね、その通りだよなって。いまでも必要以上に落ち込まないように『ネット上にただで出してるから見てくれる人がいる程度』って自分に言い聞かせて描いてるところもあるんですけど。いい大人が親の言ったことをいつまでも覚えてる時点で大概ではあるが、ちゃんと言うけど自分がつくるものは大好き。だからだいぶこじれてるわけなのよね。
ていうか今泣いちゃってるよどうしたもんかな。
で、いまの感情を書き連ねてみると、、
データしか残らない虚しさ VS 不要なものを手間暇かけてつくるのか?という感情 VS 絶対に表に出たくない我が気持ち VS ダークライ(ダークライとんだとばっちり)
いちおう抗ってるんですよ。
むむむ……まぁお値段とか入稿とか自分で調べてみたが正直ようわからん。というかわたし人生で一度も同人誌っていうやつの実物見たことないんだよ……。見たことないやつ作れないよ……。
うん、なんにもわかんないからこの感情はしばらく塩漬けにしておきますけどね。