描く側になぜか解釈の余地がなかったのかという話。

「解釈ってなんだっけ」と思うことがあったので書いています。

 

きのうTwitterに出したイラストです。これ完全にわたしが特に考えずに出してしまって反応見てから気づいたっつうお話です。

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わたしが普段よく交流してるフォロワーが「腐の要素に失恋する夢女」でして、ここ数日のわたしが夢女にとどめを刺すような絵を描いてたので、もう完全に脳がそっちの方向へ向いていたのであれなんですけど……。

 

投稿してから反応見てたらこれってシンプルに「夢女が歓喜する」タイプの絵だったんですよね。エアリプがキャッキャウフフとたいへん喜んでたのでそこでやっと気がついたのですが、あの、ほんとごめんね……描く側がアホで……。

 

もうあのどういう意図でも喜んでもらえたらもうなんでもいいんです。描く時点で(解釈を)どうとでも取ってもらえるようなのも考えようってわかったし、それに描く側が正解とか模範を意識したらナンセンスなのが再確認できました。

 

 

非常に後付けみたいに聞こえるだろうけども普段漫画描いてても感想を伺ったりすると「そこをこんなふうに読んでいたのか」と描いた側が思ってもみない解釈がまたあったりするので、広げる話とか参考になったりするんですよね。つまり感想や反応は極力すべて目を通しておくとかしこくなれます。今回みたいに描いてる側がガチガチに考えが固まったりしているときに役立つのでね。

 

なんちゃらは成功の元です(成功がなんなのかはさておき)